【前編】ふるさと納税 中部サミットin長野県白馬村

2018.01.11

長野県白馬村

2017年10月20、21日。トラストバンクは長野県白馬村と共催で、ふるさと納税の「災害時における情報発信と寄附金の活用」「未来に繋がる地域のファン作り」をテーマに「中部サミット」を開催しました。2014年11月22日、白馬村を震源にマグニチュード6.7の地震が発生。倒壊する家屋が多数発生し、白馬村は日本で初めて、ふるさと納税を活用した災害時の緊急寄附フォームを設置しました。このまちを舞台に、先進自治体による災害時の対応事例や取り組み紹介、また交流会を実施。その様子をお伝えする「前編」です。

災害時「緊急寄附申込みフォーム」について 
株式会社トラストバンク 須永珠代

白馬村は、ふるさとチョイスの災害支援「緊急寄附申込みフォーム」を最初に使ってくださった自治体です。緊急寄附フォームは、2014年9月に開始した機能で、これまで地震や台風、水害など、多くの自治体に活用いただいています。

白馬村に地震が起きたのは2014年11月22日の深夜。幸いなことに死者は出ませんでしたが、建物の多くが全壊・半壊してしまったため、ふるさと納税担当の渡邉さんは緊急寄附申込みフォームの活用に踏み切りました。義捐金などの口座開設には数日かかったそうですが、緊急寄附申込みフォームは即時に開設でき、あたたかいメッセージと共に、多くの方からの寄附を集めることができました。

もうひとつ、岩手県西和賀町で起きた「国道107号線の土砂崩れ」をご存じでしょうか? 地元メディアでもほとんど報じられなかったため、知っている人がほとんどいない災害でした。ただ、全国ニュースにならない災害でも、西和賀町にとっては大参事。国道が使えないことで、生産者さんや事業者さんの大切な販路である道の駅は封鎖され、生活が成り立たなくなっていたのです。

そこで、西和賀町も緊急寄附申込みフォームを活用。結果、1000万円の寄附が集まり、西和賀町はキッチンカーを導入しました。道の駅で売ろうとしていた商品を、キッチンカーに乗せて町外で売ることにしたんですね。このアイデアは見事に成功し、全国からイベント時には「ぜひ来て欲しい」と予約が殺到するよう。今でも大活躍しています。

お金を国から県、県から市町村に動かすには時間がかかりますが、ふるさと納税の仕組みを活用すれば、お金は市町村へダイレクトに動きます。特に災害時の寄附申込フォームからの寄附は、お礼の品がない純粋な寄附です。この、純粋な寄附を増やす取り組みを、災害に関わらず増やしていきたいと考えています。

「災害時のふるさと納税担当者としての役割」
新潟県糸魚川市 企画財政課 竹田しをり

2016年12月22日、糸魚川市駅北大火が発生。この日は朝から強風が吹いていたので、火の粉があおられて次々と燃え移っていきました。消化したのは出火から約30時間が経ってから。幸いにも、亡くなった方はいらっしゃいませんでしたが、147棟が焼損し、120棟が全焼。現場は糸魚川市の中心地で商店街だったため、老舗の料亭、酒蔵、商店街の街並みは、一瞬で焼失。多くの事業者の方が被害に遭われました。

ただ、大火後には全国からさまざまな支援が寄せられ、ボランティアの方は約1000人、義援金、見舞金、ふるさと納税による寄附金も全国からいただきました。

特にふるさと納税からの寄附は、大火発生から18分後に1人目のお申し込みがありました。その後も、当日に68件、翌日に307件の寄附があり、電話での「お礼の品なしで寄附をしたい」というお問い合わせが増えたため、24日の20時に、災害時の緊急寄附フォームを開設。すると同日中に1242件ものお申し込みがあったのです。

その後も年末まで1日当たり1000件近くの寄附と、あたたかいメッセージをいただき、本当にありがたかったです。寄附していただいた方には、何かしらの形でお礼をしたいと思い、市のホームページではなく、ふるさとチョイスの災害支援ページを活用して情報発信を始めました。復興の情報などをメインに、現在も更新を続けています。

大火を通して学んだ、災害時のふるさと納税担当者としての役割は、3つあります。1つ目は、迅速かつ丁寧な事務対応をすること。寄附が通常より大幅に増えても、一人ひとりの温かい気持ちは変わらないので、単なる事務作業として終わらせるのではなく、想いにお答えするよう丁寧に対応するのが大切です。

2つ目は情報発信をすること。これまでは、寄附者にお礼状や返礼品を発送したらそこで終わっていましたが、寄附金がどう復興に役立っているのかを伝えることが重要な役割だと学びました。そして最後は、寄附者とのつながりを大切にすること。このご縁を大切にしながら、糸魚川市は復興への道を歩んでまいります。

熊本県菊池市 野中英樹

2016年4月14日21時26分、震度7の激震が熊本県を襲いました。私はこのとき市役所にいたのですが、建物が壊れるのではないかと思うほどの揺れを感じました。

そして、4月16日未明、本震。これも震度7の激震で、死を覚悟したほどです。揺れがおさまり、家の外に出るとあたり一帯が停電で、暗闇の中どうにか市役所に辿り着くと、ロビーには非難されてきた方たちであふれかえっている状態でした。

この地震から再認識したのは、平時に備えて有事に生かすことの大切さです。これほどの大地震は想定外でしたが、熊本県は普段から台風に対する備えはしてありました。防災無線や戸別受信機、メール、ホームページ、SNS、広報誌などによる情報発信は整えていたのです。

しかも震災前、防災のためにホームページをリニューアルし、サーバー強化、ネットワーク負荷対策、緊急モードやスマホ最適化を施していたことは、被災後にとても役立ちましたね。

情報インフラは整っていたので、地震後からすぐに通行止めや避難所の情報をSNSやメールなどで発信を続けました。すると、「文章で書かれても場所がわからない」との声が多くあがってきたため、グーグルマップにピンを立てる形で場所がわかるように工夫。また、菊池市は海外からの観光客も多かったので、緊急情報を多言語化して発信するなど、さまざまな取り組みを重ねました。

加えて、災害時のためにと、前年にドローンを導入していたため、交通規制や仮復旧計画などの早期判断にもつながったのは、不幸中の幸いだったと思っています。

ピンチをチャンスに広報企画で復興支援


復興のために5つの企画を実施しました。

① 全国35万人の「きくちさん」を菊池市に招待
菊池市は、菊池一族(平安時代から戦国時代まで約450年、菊池地方を中心に栄えた武士の一族)で市をプロモーションしていたので、「きくち秋まつり」に、全国のきくちさんを招待するイベントを実施。SNSで発信すると、多くの方にシェアされ拡散し、結果、当日は約200人のきくちさんが参加してくれました。

② 菊池広報展で防災啓発
広報が撮影した被災写真と広報誌、そして市民の方から集めた被災写真を展示しました。

③ 菊池渓谷ポストカードで魅力発信
菊池渓谷は、菊池市が誇る観光スポットです。震災後は立ち入れなくなっていますが、復興後に訪れるファンを増やすためにポストカードをつくり、寄附者などに送付しました。

④ 動画写真コンテスト
震災で大切な文化財や菊池市を彩っていた風景は一瞬にしてなくなりました。そこで、「未来へ残したい風景」をテーマに、市民の方から写真や動画を募ることに。これは、ふるさとの魅力を再認識するきっかけづくりになったと思っています。

⑤ ドキュメントムービーとパンフレット作成
市民の方には、全国からたくさんの支援があったのを知ってもらうこと、そして防災の意識を高めてもらうことを目的に、そして市外の方には、もう一度被災地に目を向けてもらうことを目指して、8分間のムービーを作成。そして、寄附者にはムービーと、集まった寄附金・義援金と使い道を記載したパンフレットを送付しました。

最後に、個人的な話をさせてください。地震発生後、私たちは24時間体制で情報発信とメディア対応を続けていました。被災地を取材してまわっていたのは非番のとき。最初は使命感で続けていましたが、徐々に憔悴していったんですよね。全国から駆け付けていただいたボランティアや消防団、自衛隊、市民。いろんな人がスコップを持ってガレキを撤去したり、物資を運んだりしているなか、私はカメラを持って写真を撮っているだけ。何の役に立つのだろうと、かなり落ち込みました。

そんなとき、小学校で自衛隊が給水活動をしていると聞いて、撮影しに行くと、ハッとするような光景を目の当たりにしました。自衛隊も大変なはずなのに、学校に集まっている子どもたちに作業を教えながら一緒に活動をしていたり、遊んでくれたりしていたんです。

「地域や被災地に寄り添うって、こういうことなんだ」と、涙が止まりませんでした。私の仕事は、こういう場面をたくさんの人に知ってもらうこと。しっかりと記録して発信していこうと、立ち直りました。

だから動画も、被災者の方に寄り添えるものになるよう、認められるまで何十回も作り直しました。そうやって、地域の一人ひとりに寄り添っていくことが、私たちの使命だと思っています。

菊池市は、以前より災害に強く、活気と魅力あふれるまちに生まれ変わるべく、復興を進めています。いつ起こるか分からない災害。ぜひ、私たちの経験を生かしていただけると嬉しいです。

九州北部豪雨被災自治体の訪問で見えた、ふるさと納税の活用プロセス
株式会社トラストバンク 武内一矢

ふるさとチョイスからのふるさと納税のうち、約28.6億円が災害支援フォームからの寄附です(累計・2017年10月時点)。大きな災害から局地的な災害まで活用してもらっています。そのなかで、7月上旬に発生した九州北部豪雨の被災地である大分県日田市と福岡県朝倉市に、被災1カ月後に伺いました。

大分県日田市は、5年前にも川の氾濫で大規模な被害があった場所です。そのため、5年前と同じ方が被災しているケースが多いと聞きました。それは自宅だけでなく、田畑もそう。高齢化が進んでいるので、2度の被災によって離農したり、まちから出て行ってしまったりという深刻な課題を抱えてらっしゃいました。

特に被害が大きかったのは山間部です。土砂崩れによる流木で川が決壊し、周辺は飲みこまれ、携帯電話の基地局も破壊されていました。そうした状況下だったので、自治体はいろんな手段で情報発信をするものの、情報が行き届かなかったと言います。さらに、避難指示を出しても、その地に留まりたい人が多かったそうです。

日田市では、緊急寄附フォームからの寄附金は、被災者への義援金として迅速に使われました。それ以外の通常寄附でも、災害に対してのコメントが書かれている場合は、その寄附を防災に充てるよう手配したとのこと。ご担当者さまは、「今回の災害を受けて、被災前に遠方の自治体間で代理寄附協定を結んでいれば、早く対応ができたかもしれない。近隣自治体で結んでしまうと、大災害時は近隣も被災する可能性があることがわかった」と仰っていました。

ただ、日田市よりも福岡県朝倉市の被害の方が甚大だと聞き、そのまま朝倉市に向かいました。現地に入ると、被災1カ月後でも行方不明者の捜索が続いており、被害の大きいところは取材で入ることもできない状態だったのです。

朝倉市には寄附者から「返礼品は選んだ方がいいのか、それとも返礼品無しを選ぶべきなのか」という質問が多く寄せられたそうです。返礼品を選べば地元の事業者さんが潤い、選ばなければ全額を寄附として活用できます。だから、どちらもありがたいとお答えしたそうです。いただいた寄附は、翌年の復興費用、特に国からの補助が付かない部分に活用していくとのことです。

朝倉市には14の温泉旅館がある原鶴温泉があります。床上浸水の被害があったものの、被災後2週間程度で旅館の営業は再開。しかし、8200人のキャンセルが出てしまい、被害総額は1億円を超えたそうです。観光の目玉である鵜飼も中止が続いたことで、観光客は激減。被害に遭っていない観光地も含め、現在も客足は遠のいているとのことでした。

災害時の寄附は、被災当初が一番多くなります。ただ、メディア露出の数に比例してしまうので、大変な状況の中ではありますが、広報担当などと連携していかに情報発信の体制を整えるかが重要だと思います。


※後編はこちら

text by
長野県白馬村

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