人と人がつながる場所を作りたい。明治後期の有形文化財を旅館として蘇らせる、フロライク・レムコーさんの願い

2017.04.20

長崎県平戸市

平戸市に移住し、平戸とオランダをつなぐ国際交流員を7年勤めたのち、現在はフリーランスとしてWeb制作や通訳、翻訳などを生業にしているフロライク・レムコーさん。仕事と並行して行っているのが、明治後期の有形文化財の自宅を旅館にリノベーションすることです。「人が集う場所を作りたい」と日々改装を重ねているレムコーさんの自宅にお邪魔し、旅館を作ろうと決めた経緯や思いについて伺いました。

——日本に興味を抱いたきっかけを教えてください。

 初めて日本を訪れたのは、高校2年生のときでした。「オランダ来日400周年記念事業」の一環として、日本政府から奨学金をもらえる制度があると知り、交換留学生として1年間、沖縄県の公立高校で過ごしたんです。日本についての予備知識はゼロでしたが、沖縄ののんびりした風土、人のあたたかさにすっかり魅了されてしまいました。

その後、オランダの高校を卒業して、イギリスの大学に進学。観光学と日本語学を専攻し、大学3年時に再び日本への留学を決めました。留学先の大阪・関西外国語大学は、当然ながら、沖縄の高校とはまったく違う環境です。日本の伝統文化に強い興味を抱き、剣道に打ち込みながら、京都を歩き回る毎日。文化の幅広さと多様性を実感しましたね。

フロライク・レムコーさん

フロライク・レムコーさん

——平戸市役所の国際交流員として働くことになった、きっかけは何だったのでしょうか。

オランダで2年ほど仕事しているうちに日本が恋しくなった…という心境の変化と、平戸市の国際交流員募集のタイミングがぴったり合ったからです。

大学を卒業後は国際交流団体に所属し、世界中からオランダに留学してくる高校生の受け入れプログラムの企画や支援、カウンセリングなどを担当していました。同団体の南アフリカ支部で7カ月過ごすなど、世界各国の文化や人に触れられる面白い仕事でした。

ただ、「日本語や日本文化と離れた生活」としていることに、だんだんと物足りなさを感じるようになったんですよね。日本で働くチャンスはないかと考えていた2007年、平戸市役所がオランダの国際交流員を募集していると知り、「2年くらい働いたら帰ってこよう」と、軽い気持ちで応募。その夏から平戸生活が始まりました。

——国際交流員はどのような仕事をするのでしょうか。

国際交流員の仕事は、「ここからここまで」と決められたものはほとんどありません。オランダから来た学生を平戸に1週間ほど滞在させる文化交流プログラムの準備や、オランダ人の芸術家を1カ月間呼んで、平戸市内でワークショップを開催する芸術交流事業の準備を担当することも。 

記念事業開催時の平戸市長の翻訳や通訳業務なども行うので、僕が必要な業務があればそれが仕事です。2009年から復元工事が始まった「平戸オランダ商館」に関しても、オランダと日本の間に立って橋渡しし、完成後には開館イベントを仕切るなど、関連業務をさまざま担当していました。

平戸から必要とされていることがうれしくて、2年予定だった仕事を毎年更新しましたね。国際交流員を5年連続更新する人はあまりいないそうなのですが、僕は最長5年と決まっていた契約満了後はプログラムの枠外で雇ってもらい、結果、7年間も国際交流員を務めることになりました。

国際交流員時代の様子

国際交流員時代の様子

——その後、7年間務めた国際交流員を辞めて、2014年にフリーランスへ。なぜその道を選んだのでしょう。

たしかに、国際交流員の仕事は本当に楽しくて、実現に向けて動ける恵まれた環境がありました。でも、平戸を知れば知るほど「ここで旅館を作りたい」という思いが強くなったのです。

「いつか旅館やゲストハウスを運営したい」というのは、大学で観光学を学んでいた頃からの密かな夢でした。その上でまず必要なのが物件ですが、オランダは土地が高く、物理的なハードルが高い。その点、平戸は古民家を安く譲り受けられる土壌があります。平戸市内にはホテルはあるけれど、旅行者がオープンスペースで交流できたり、くつろげるようなゲストハウスのような旅館はありません。自分がその場を提供したいという思いもありましたね。

市役所に辞任の意を伝え、退職までの半年間の間に家探しをスタート。今は、巡り合った家を旅館にしようと、コツコツ改修を重ねている最中です。収入面では、Webサイト制作や映画の翻訳、通訳業務など、人のつながりでいただくさまざまな仕事を受けながら、約2年後の旅館完成を目指しています。

明治後期に建てられた、歴史ある建造物。

明治後期に建てられた、歴史ある建造物。

——夢の旅館となる家は、どのように見つけたのでしょうか。

この家は明治後期の建築物で、明治時代に旅館として建て直されたものです。明治維新のころは廻船問屋だったそうで、薩摩藩と長州藩の密会の場を設けたというほど歴史ある場所です。もともと取り壊しが決まっていたのですが、一目見て、購入を決めました。

この物件を紹介してくれた近所の方も、「こんなに歴史のある家がなくなってしまうのはさみしい」と思っていたようです。何とか取り壊さずに遺せないかと考えていたとき、僕がこの家に住んでいる夢を見たそうで(笑)、慌てて連絡してきたのが、取り壊しの1週間前でした。この古さを大切にしたいと、購入後に「有形文化財」に申請し認定も受けました。

旅館に改装中の自宅。窓の外には海が広がります。

旅館に改装中の自宅。窓の外には海が広がります。

——運命のような出会いだったのですね。この家をどんな旅館にしたいですか? 

集まった旅行者たちが、自然と言葉を交わすような空間にしたいですね。そのためにカフェスペースを設けたり、庭で海を見ながらくつろげるような場所も作りたいと思っています。日本の古い建築物だからこそ、ホテルのような部屋の密閉感はないかもしれませんが、周りの人のぬくもりも感じられるようなゲストハウスになればうれしいです。近い将来、平戸でできるアクティビティを提案し、その活動の拠点なったらいいなとも考えています。

——「旅館をここでやる」と決めるほどの、平戸の魅力は何でしょうか。

そうですね。改めて何かと考えると、人のやさしさに尽きると思います。風邪をひいたら、いろんな人が「レムコー大丈夫かー?」と野菜やフルーツをたくさん持って来てくれるあたたかさなんて、本当に心に染みます(笑)。

平戸の歴史を学ぶことは、母国・オランダの貿易史を学ぶことでもあり、その両国の関係の深さも、平戸の地に惹きつけられた理由の一つです。外のものを受け入れる風土が根付いているからか、“外国人”であることを意識することなく、人と人との関係を築けているのも心地いいです。

大阪に留学していたときは、コンビニに行くたびに「スプーンいりますか?はしで大丈夫ですか?」と日本語でゆっくり説明されていました。いちいち「僕は日本語を話せるし、ここに住んでいるんです」と説明するのが大変で、毎日何度も“外国人”であることを意識させられていました。でもこれは、大きな都市では仕方のないこと。

その点、平戸はコミュニティが小さいので、知り合いもどんどんつながっていく。移住して1カ月後には、誰も“オランダ人の”レムコーとして話す感じがなく、それがとても過ごしやすいと思いました。

——平戸に来て10年。日本とオランダの共通点や違いをどう感じていますか。

日本とオランダは、人と人とのつながり、共同体の意識を大切にするウェットさが似ているなと思います。異なるのは、オランダは有形文化財を大事にし、日本は無形文化財を大事にするところでしょうか。

オランダは、暮らしや習慣に対してはどんどん新しいものを取り入れていきます。だから無形文化財はほとんど残っていませんが、建築物などの有形文化財はとても大事に、昔のまま残そうとします。

一方、日本は伝統芸能や民芸品、お祭りの文化などを代々受け継いでいる地域がたくさんあります。生活習慣に伝統や文化をしっかり根付かせていこうという意識は高いのに、建物などのハコモノはどんどん壊していってしまうのがもったいない。古いものを素敵だと思える、外国から来た僕ならではの視点で、旅館に味わいを残したいですね。

ぜひ、僕の旅館に遊びに来てください。忘れられない体験ができるはずですから!

(取材:田村朋美、文:田中瑠子、写真:増山友寛)

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